明治時代、政府は土地の私的所有・売買を認め、物納から金納への変革を行いました。いわゆる地租改正のことです。
その改革の過程で国は、租を平等に徴収するために全国の土地を検査、測量し、人為的に区画された土地ごとに地積、地目、所有者を確認する作業を行いました。
この作業は、政府が一方的に行うのではなく、人民に行わせる方法でスピーディーにことを終えた半面、測量技術の未熟さや税金対策のために不正確なもの(縄伸び・縄縮み)となりましたが、これにより土地の所有者が確定しました。自然上の土地は本来、連続のない広がりであるところ一区画を一筆の土地として地番が付せられたのです。
「境界」と言う言葉には、二つの意味があります。
一つは、地番の境、言い換えると筆界とも言います。
二つ目は、所有権の及ぶ範囲と言う境です。
概念的には、ちょっと難しいかもしれません。この二つは、一致する事が望ましいのですが、一致しない事もあります。
法律上の境界とは、どちらの意味なのでしょうか?「境界とは、異筆の土地の間の境界で、客観的に固有なもの」(最判昭和31年12月28日)としているように公法上の境界ともも定義され「筆界」つまり、地番の境を意味を有します。
公法上境界は、明治時代初期に行われた地租改正由来します。地租改正事業により土地の一つ一つを確定し、「地押丈量」という検査が行われ、その成果として「野取絵図」(改組図・字切図・字限図・字図)という図面が作成されました。これらの図面は、測量技術が未熟であったため、脱落や重複があり、その後に再調整作業が実施され、「地押調査図」または「更正図」が作成されました。これが、土地台帳附属図面、いわゆる地図に準ずる図面(公図)として正本は税務署に、副本は、市町村役場に、その後、台帳事務が登記所へ移管された昭和25年以降は登記所である法務局に保管されています。地券台帳に地積、地目、所有者が登載されときに土地の筆界が定まったと考えられています。
では、後者の所有権の及ぶ範囲の境とは、なんなのでしょうか?たとえば、A地の所有者がB地の一部を自分の所有地だと思い長年使用してきたためにその使用してきた一部の所有権が時効によりAさんに移っているということがあります。また、一筆の土地の一部を売買したにもかかわらす、分筆・合筆の登記がされていなかったという事もあります。こうすることにより、筆界と所有権界(占有界)とでは、相違が生じてしまうのです。これらは実際に占有していれば、占有界ともいわれます。
土地の境界は、公法上のものであって、関係当事者の合意では左右する事はできませんし、隣接地所有者間の境界についての合意が成立した事のみによってその合意どおりの境界を確定することは許されません。公法上の境界を変更するには、分筆登記・合筆登記を経なければなりません。
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